ことば置き場

物語をめぐり、言葉をめぐり、それから。

満月(上)

   あの夜、月はどんな表情をしていただろうーー。

 

   目が覚めた時、病室の窓から見える百日紅の花色が瞳を刺した。それは、太陽を仰いだときの、まぶたの裏のように薄い紅色をしていた。

   水澄ソウジは全身を点検し、ベッドの上に横たわる自分の身体が一応無事であることを確認した。どうしてここに居るのか、まったく記憶がなかった。

「気がついた?  ソウジ」

   花瓶に新しい花を挿していたミチルが、ソウジの顔を覗き込みながら訊いた。ミディアムの髪が下に垂れ、大きな目が影になったせいか、いつもより儚げに見えた。

「ミチル?  ここは、どこだい?  僕は……」

「病院よ。あなたは事故を起こして、三日間も目を覚まさなかった」

「事故?」

「うん。真夜中にソウジが運転していた車が、電信柱に激突して大破したの。あれはもう、廃車ね」

   廃車、と発したミチルの唇は、何故か笑っているように見えた。同時に、全身に痛みが広がっていくのを感じた。ミチルの話によると、事故当時、全身血だらけで左耳などは千切れかけていたそうだ。気を失っている間に傷口の縫合が済み、麻酔もとっくに切れていたのだ。今はただ、点滴の管が腕にささっているだけの状態だ。

「廃車か……。なんだか、僕のことを言われているみたいだ」ソウジは自嘲気味に言った。何度も司法試験に落ちている自身の不甲斐なさが、重なる。「中古のロードスターなら、また買い換えることはできる。でも、人生は……」

「また始まった。ソウジのネガティヴ・シンキング」笑うと目尻に小さなシワがよる。「私だって看護師の卵なんだから、将来は不安だらけなのよ」

   そんなわけはない、とソウジは思う。ミチルは自分よりもずっと堅実で、来春予定通り看護学校を卒業し、予定通り看護師になるはずだ。

「それにしても、思い出せないな」

   ふと、三日前の夜の記憶があやふやなことに気づく。あの夜たしか、ミチルの部屋でコーヒーを飲んで、自分のアパートに帰ろうと車に乗り込んで……。

「ねえ、ソウジ、あの夜あなたは私とは違う女とコーヒーを飲んでいた」

   そうだった。あの夜、ミチルの双子の姉、ツキコとコーヒーを飲んでいた。顔は似ているが、性格は活発でミチルとは正反対だった。ミチルには内緒で、逢瀬を繰り返していた。

   でもたいていは、ミチルの不在を確認してから二人は会っていた。それなのに、何故?

「相変わらずバカね、ソウジは」

   言いながら、ミチルはPTP包装の錠剤を取り出した。急に動悸が激しくなる。ミチルは、自身が常用している睡眠薬の錠剤を見せて、冷たく笑った。(つづく)

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