ことば置き場

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ノンブル・ゼロ #2 cooking time

ノンブル・ゼロ #2 cooking time

「この世界には二種類の人間が存在する」

   林フツツカは、都立高校の家庭科室で、生徒たちに向けて語り出す。チョークを持ち、黒板に一気に書き殴る。小学校の時に合格した書道検定三級という、微妙な腕前ながら、勢いだけはハンパなかった。カッカッカッと、硬質な音が響き、生徒たちは固唾を飲んだ。

「筍が好きなやつと、嫌いなやつだ」

   四月の初めての授業で、このふてぶてしい女教師が語る言葉に、生徒たちの誰もが唖然とした。〈こいつはいかれてやがるのか?  それとも何か俺たちを惹きつける計略でもあるのか?〉

   生徒たちの猜疑の眼は、フツツカのみならず黒板の文字にも集中した。そこにはミミズが這ったような文字が踊り、これで教員採用試験に受かるんだったら、私たちでもいけるっしょ、と女子たちの誰もが思うほどヒドかった。フツツカはふっと、薄笑みを浮かべ、それを読み上げる。

「チンジャオロースだお!」

   板書された青椒肉絲という四文字よりも、ヨダレを垂らしながら恍惚とした表情をかもす女教師に、みな、ただならぬ恐怖を感じ始めていた。

                         ✳︎

 非日常と化したはずの家庭科室はしかし、思わぬ方向へと転じることになる。

 林フツツカの調理の腕前は確かだったからだ。

 フツツカはスマートフォンのクッキング・パッドという流行アプリを立ち上げ、ちらりと見る。ほぼ毎日ランキング上位の、カリスマ主婦〈よだれちゃん〉。彼女への強いリスペクトにより、調理実習へのパクり度は高かった。

「はい、では各班、レシピ通り作ってください。えーと、まずは下ごしらえね。下茹でしてある筍の水煮を短冊切り、ピーマンと赤・黄のパプリカは一口大の乱切り」

 フツツカの包丁さばきは見事だった。スナップがよく効いており、まな板の上の包丁の刃がほとんど見えない速さで上下している。トントントントントントントントン! 生徒たちも、夢中でそれを追いかける。トントントントントントントントン! まるで激しいスポーツでもしているようだった。

「調味料は酒、オイスターソース、中華出汁、砂糖、醤油に胡椒と片栗粉。そんでもって、サラダ油を熱したフライパンに垂らして、そいつらを牛スジと一緒に炒める」

 ジュアーっという音が部屋中に響きわたり、空腹が実感させられるような香りに皆、打ちのめされるようだった。はあはあ、ゼエゼエと息を切らす者もおり、その場にいる誰もが充実した、いい顔をしていた。これぞ青春。最後に皿に盛り付けられた時、チャイムが鳴り響く。

 ちょうど昼食の時間でもあったので、皆、和気あいあいと食べ始める。

 筍の食感、つまりコリコリ、シャキシャキ感が尋常ではなかった。

 そこにいる誰もが満足そうだった。たった一人を除いては。

「どうした、ヤブカラ。浮かない顔だな。腹でも壊してるのか? それとも筍が嫌いな人種なのか?」

 フツツカに訊かれた生徒のヤブカラは箸を置いて、窓ガラスの外を眺めている。

「別に……」なかなかの美少年だった。彼の視線はグラウンドのサッカーゴール付近に注がれている。「筍が嫌いなんじゃない。俺はただ、中華よりも和食の方が好きなだけだ」

「中華よりも、和食、だと?」

「ああ、だってそうだろ? 筍という漢字は竹冠に旬という文字が組み合わされている。まさに春は、旬の筍を和のテイストで食べるべきなんだ」

 衝撃だった。確かに、カリスマ主婦よだれちゃんに心酔するあまり、人としての大切な何かを失っていたのかもしれない。高校二年生のガキに打ちのめされるとはな、私もまだまだだ、と口から出かかった時だった。ヤブカラは妙なことを言い出した。

「知りたいんだろ、先生? 岡崎シンイチがなぜ死んだのか」

 やれやれ。どうやら、この学校の問題の根は深そうだ、と林フツツカはグラウンドに向け目を細めた。

http://www.smapons.com/写真は『無料写真素材ぶらさん』からお借りしております。

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