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しのふく通信

物語をめぐり、言葉をめぐり、それから。ーーーー✖︎篠崎フクシ

安曇野 #2 碌山が遺したものー碌山美術館にて

安曇野 #2 碌山が遺したものー碌山美術館にて

   こうして僕も書き言葉で表現しているのだが、改めて人が何かをつくりだすことの神秘に、驚嘆せざるをえない。それは言葉でなくとも、たとえば料理や建築や音楽でもいい。そこには何かしらのメッセージが含まれていて、受け取った者は何らかの応答をする。認知の変容、と言ってもいいかもしれない。

    アートは、どうだろうか。

    やはり、絵画や彫刻も同様の機能を持っている。

    碌山美術館をたずね(両手で数えられないほどの回数になる)、ふとそんなことを考える。同じ作品でも、毎回、受け取り方が違うような気がしたからだ。つまり、見る者の心が投影されることで、作品は瞬間ごとに姿かたちを変えるのだ。考えてみれば不思議だ。対象は、色も重さもフォルムも大きさも、明治期のそのときから寸分たがわずそこに存在し続けているのに。

    荻原守衛(碌山)は、洋行先で見たロダンに影響を受け彫刻を志すことになった。〈坑夫〉や〈労働者〉はゴツゴツしていて力強く、〈女〉の裸体は艶めかしい。高村光太郎にも通じる、リアリズムの極致だ。そこには、作家の強い目的意識が表現され、同時に作家が自身を厳しく見つめていることも感じさせる。彫刻家にとって、自身すら、一個の作品のようだ。つまり、萩原碌山という作品。

    メインの洋館の裏に、高村光太郎の詩が書かれたレリーフが飾られている。

「四月の夜ふけに肺がやぶけた。

   新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして

   荻原守衛は血の塊を一升はいた。

   彫刻家はさうして死んだー日本の底で。」

荻原守衛高村光太郎

 

   肺を病みながら最期まで表現を追究しつづけたその執念、厳しさとは、いったいどこからくるのか。

   その背景の一つとして、井口喜源治という名前をあげることができるだろう。穂高の地で研成義塾を開き、多くの人物を輩出した教育思想家だ。同郷の荻原守衛内村鑑三とも交流があった(明治三十三年、井口と萩原は内村の講習会に列する)。理想に対する厳しい追究という点で、彼らが互いを引き付けたのは偶然ではないだろう。

    2012年、オバマ米大統領は、日系のゴードン・ヒラバヤシ氏に自由勲章を与えた。戦時の日系人強制収容に対し、戦後も訴訟で戦いつづけた人だ。彼の父もまた、井口喜源治の教え子であった。その思想が語り継がれていたことは、もう明らかだろう。

    僕の祖父も、研成義塾出身者であることは幼い頃に聞いていた。しかし、祖父はずいぶん前に他界しているので、詳細を聞けなかったことが悔やまれる。

    萩原碌山が遺したもの、それは作品のみでなく、同時代にこの地に共有された厳しい求道の精神なのだろう。

http://www.rokuzan.jp/

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