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しのふく通信

物語をめぐり、言葉をめぐり、それから。ーーーー✖︎篠崎フクシ

ノンブル・ゼロ #1 prologue

#1 prologue

   大臣政務官の執務室からのぞむ街の色は褪せている。久しぶりの雨だ。権力の象徴である議事堂の三角頭も靄がかかり、今日はどこか寂しげだ。

   肘掛け椅子に深く座る松坂屋凛子は、そんな窓の風景を背にしてこちらを睨みつけている。向かい側の女もまったく動じない。腕と脚を組んだまま、微動だにしない。ストッキングの膝上に小さな穴があるのを気にしているからだ。

「で、私を霞ヶ関くんだりまで呼びつけておいて、何の用だ?」

   林フツツカは大臣政務官を睨み返して訊いた。

「お前、相変わらず怖いモノなしだな。私を誰だと思っている。この議員バッジが目に入らないのか?」

水戸黄門の印籠かよ。あんただって相変わらず権力という毛皮を着ていないと、ダメ女じゃないか。何だっけ、あの本のタイトル。『ヤンママ先生、母校で暴れる』って、まじ吹いたわ」

「この世界から消えたいか? 物理的に」

   言葉とは裏腹に、松坂屋凛子は湯気が出るほど赤面し、目を泳がせている。主導権を握った、と林フツツカは心のなかでガッツポーズをする。

「まあ、いい。〈あなた〉に依頼したいことがあってお呼びした」凛子は気持ちを落ち着け、丁寧な口調で言った。納税者は大切な票田だ。「東京西部、武蔵平市のいじめ自殺事件は知ってるでしょう?」

「ああ、あれだけ騒がれればな。でもあれは、いじめていたクラブの生徒たちを処分して終わったんだろ? 本人たちも認めていたみたいだし」

「表向きはね」

 フツツカは嫌な予感がした。今の高校での生活がやっと慣れてきたところだった。それに、ちょっとイケメンの体育教師との関係もあと一歩のところまできている。

「まだ移動したくないんだけど。だいたいそういうことは、東京都教育委員会の専権事項だろう」

「真犯人を暴き出してほしいんだ」

「ちょ、今の話、聞いてた⁉︎ まだ移動したくないんですけど‼︎」

 フツツカの怒声が執務室に響き渡り、隣の部屋からSPが顔を出す。大丈夫だ、というように松坂屋凛子は手を上げて制止し、屈強そうな男を引っ込めてからフッと笑った。

「ボーナス三ヶ月分と筍一年分……」

「えっと、移動先はどこでしたっけ? 早めにロッカーの整理をしておかなくちゃ。忙しくなりそうですね、ヤンママ大臣!」

「まだ大臣ではない。大臣政務官だ」松坂屋凛子は形勢が逆転したことにほくそ笑み、これぞ権力というものだ、とその効力を確信した。「ヤンママは余計だがな」

 松坂屋凛子は、林フツツカが初めて赴任した都立高校の上司だった。凛子はフツツカと同じFランク大学出身者だったが、努力すれば管理職にもなれると思わせてくれる人だった。バツイチというハンデもありながら、男社会に切り込んでいく姿は惚れぼれするほど格好良く、憧れの先輩だった。ヤンママ先生は生徒想いで、納得のいかないことは上司に向かって食ってかかるほど熱かった。まさに自伝のタイトル通り、ヤンママ先生は母校の赴任先で暴れまくったのだった。

 それなのに……。

 政治家に転身とは、釈然としなかった。裏切られた気持ちだった。

 でも、こうして呼び出されると、悪態をつきながらも要求に答えてしまう。そういう自分が鬱陶しかった。ちくしょう、どこか割り切れない、とフツツカはほぞを噛む。

「頼んだよ。これはあんたにしかできない仕事なんだからね」

「さあてね。私、フツツカ者なので」

 失敗しない女医のような捨て台詞を吐いて、林フツツカは大臣政務官の執務室を後にした。

 外に出ると雨風が強くなっていた。折りたたみ傘がダメになってしまいそうだ。濡れそぼつ議事堂を一瞥してから、フツツカは地下鉄のホームへと急ぎ足で向かった。

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