ことば置き場

物語をめぐり、言葉をめぐり、それから。

#1 Marriage

#1 Marriage

 駅の改札を出ると、ビル風が頬を打つ。空が曇天で覆われ、風が強く吹いている。早くしないと雨が降り出すかもしれない、と御木本シウは空を見上げながら考えた。頭上にはグレーの膜が果てしなく広がり、まるで永遠の目隠しを強要されているみたいだ、と思う。光を遮る、目隠し。

  それにしても、この尾行は、いつまで続くのだろうか。 

 目の前の、赤いパンプスを履いた女はこちらに気づくことなく、ビルの谷間を抜け、丘の上を目指した。小柄で歩幅は小さいが、歩く速度は速い。異人の住む、黄色や緑色の外壁の館が立ち並び、奇妙な夢を見ているような感覚に陥る。傍道から出てきた、日傘をさす貴婦人と女はぶつかった。縁に象と道化が白抜きにデザインされた黒い日傘は、宙に舞う。 

 曇天に開いた黒い穴。 

 貴婦人はモディリアーニの描く画のような、細く伸びた首を震わせ何かを訴えている。怒っているのだろうか、異国の言葉は早口すぎてよく聞き取れない。女はひたすら腰を曲げて謝っている。急いでいるので、と事情を説明しているようだ。するとどういうわけか、貴婦人も女とともに石畳の坂を登り始めた。大柄の貴婦人の背と日傘のせいで、女の姿が見えなくなった。まずい。

 

「私が気づいていないとでも思ったの?」 

 橘トリノは皮肉な笑顔を見せて、御木本の背後から声をかける。 

「さすがは元刑事。良い勘をしてる」

「刑事というよりも、女の勘ね」 

 ビル街から風が吹き登り、丘上へ抜けていく。御木本がコートの襟を立てると、橘トリノが腕に絡みついてきた。二人でこうしていると、暖かい。 

「さあ、急ぎましょう、シウ」

「ああ」

 二人は坂を駈け上がり、貴婦人を追い抜いた。貴婦人はごきげんよう、と白いハンケチを振っている。

 丘の上の教会が見えてくる。

 映画のように典型的な、白いチャペルの鐘が鳴る。

 御木本シウは、以前殺人事件の現場で見た悲惨な新婦の姿を思い出した。暴力団同士の抗争に巻き込まれ、新婦の純白のドレスは赤く染まっていた。血と硝煙の匂いが礼拝堂に充満し、新しく夫婦になるはずだった若い二人は互いの手を握りながら息絶えていた。

 頭から嫌な記憶を払いのける。

 いつの間にか曇天に亀裂が走り、その隙間から赤緑色の陽光が差す。

 そしてまたいつの間にか、橘トリノは純白のウェディングドレスを纏っている。

 早く、早く、急がなければならない。書割のような世界だっていいじゃないか。 

 もうすぐ、俺たち(私たち)は幸せになれるはずだ。 

 トカゲ、小田原、佐々並博士、カマキリ、三日月カグヤ、ヤクザ、マリア…、教会の庭には仲間たちが待ち構えている。それぞれの武器を携えて。文字通りの武器・弾薬を。【了】

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